みるみるうちに草が伸び、木の葉が緑をます、もっとも生き生きとした季節がとうとうやってきました。
今日、宮城県気仙沼市の被災された方の一行がダルハン市を訪問しました。みなさん、家が流され、今後の行くえも定まらない方達です。
この方たちを励まそうとモンゴルに招待されたそうです。
モンゴル人の友人から突然の電話で、「太陽の子供」の家に来ているから来ないかと誘いを受けて、常々訪れて見たいと思っていたので行ってみました。
「太陽の子供」の家 とは、かって、加山雄三氏らがモンゴルの求めに応じて寄付金を出して作られた5つの孤児院の一つで、ダルハンにある施設の名前です。
マンホールチルドレンという言葉を知っていますか?
自由主義経済に移行した20年前に大変な経済混乱が起き、沢山の孤児が生まれました。-30℃以下になる冬に、暖房用の温水が通る地下に暮らす孤児が急増したのです。今はその姿はありません。
こうした孤児院がさまざまな国や団体によって作られたのです。日本からもいろいろな団体が援助しました。ダルハンにも立派な建物があります。しかし、その建物も含めて、必ずしも孤児たちが平和に暮らし自立していけるようになったかというと、多くは?と言わざるをえません。援助が途切れた途端に維持できなくなってしまっています。
ダルハンの「太陽の子供」の家は、非常に優れた孤児の援助施設です。
ここには数歳から、既に自立して大学生になった者まで約40名が暮らしています。
民族舞踊や民族楽器の演奏を練習し、すでに日本に11回も演奏公演をしています。その時の収入や、畑を耕し野菜を自給して余った野菜を売ったり、縫製で収入を得たりして、今や完全に自立しています。日本からの援助で1棟だけ建物が建ったのですが、今や自力で3棟の居住棟や食堂を建て、さらに1棟を建築中でした。
教える教師も自信にあふれ、子供たちの表情も豊かで人懐っこい子たちでした。
日本語も積極的にモンゴル人教師が教えており、とても上手な子もいました。
夕陽の庭で民族舞踊や楽器の演奏をしてくれました。
おいしい夕食を御馳走してくれました。食事当番がつくる食事は、モンゴル独特の脂ギタギタではなくて、自家製の野菜が豊富で食べやすいものでしたし、特にパンは絶品でした。どうして町で売っているパンはまずいんだろうと改めて思うほど。
ガラス張りの舞踊や楽器演奏を練習する部屋、民族衣装などを縫製する部屋、畑、寝室勉強部屋などを見せてもらいましたが、質素だけれど一般家庭より清潔で整っていました。
自立した時に、社会の人々と仲良く生活できること、自分の持ち味を生かせる自信を持つこと それがここでは具体的に実行できていると感じることが出来ました。
ここの子供たちは、今回の日本の震災に対して縫製品の売り上げなどから300万tgの義援金を作り日本に送りました。この額は、私がナラン学校で1年間働いた給料分に匹敵します。
気仙沼から来た方々も「こんな時にモンゴルに行っていいんだろうかと思いつつ来たけれど、本当に勇気をもらいました」と別れ際に子供たちと抱き合って別れを惜しんでいました。